ラーメンズコント研究

ラーメンズのコントにはどんな笑いの方程式で作られているのか研究します

小林賢太郎がコントや演劇のために考えてること

このブログが吟味しようとしているのは、しばしばアートとも称されるラーメンズによつコントが、どんな手法をもって書かれたかという問題である。

 

こういう言い方をすると、登場人物の書き方やセリフの書き方や戯曲の組みたて方といった技巧的(テクニック的)な問題が、もっぱら論じられるのであろうと思う人がいるかもしれない。

 

もちろんそういうものについても論じるが、それは私が主に意図していることではない。

 

劇とは、コントとは、この世界で生きている人間を取り扱うものなのだから、劇作家がどんな手法を用いて作品を書いたかという問題を検討するためには、その劇作家が世界や人間をどのように捉えているかを知らねばならない。

 

 

あるいは、劇やコントそのものについてどう考えていたかどうかを捉えていたかを知らねばならない。

 

ある劇作家の手法について論じることは、実は、当の劇作家の世界観や人間観やコント感について論じることになるのである。

 

シェイクスピアの研究をする喜志哲雄は、『シェイクスピアのたくらみ』の中で「もしも、手法についての議論は小手先の技巧についての議論にずぎないと考えて軽視する人がいたら、そのひとは救いようがないほど浅薄な誤解を犯しているのだ」と述べている。

 

今後、このブログでは幅広い観点から、小林賢太郎の手法について分析していく。